おっさんのあとさき
僕が就職して最初の職場についての記憶。
もう30年近く前のこと。
でも、かなり鮮明に覚えている。
例えば、僕にとって初めての課長であるMさん。
M課長と僕の間には30歳くらいの年齢差。
M課長から見れば僕は若造。
僕から見ればM課長はおじさん。
もちろんお互いにそう呼ぶわけではない。
でも、そういう存在には違いない。
課には合わせて20人くらいの職員がいた。
3つの係に分かれ、それぞれに係長がいた。
だから、僕から見れば、課長との間に係長がいる。
ヒラの僕と課長が直接やり取りする機会はそれほど多くない。
しかしある時、M課長と僕が2人きりになる場面があった。
ある外部の会合にM課長が出席する際に、
その業務の担当者である僕が「カバン持ち」としてお供したわけだ。
(実際にカバンを持ったわけじゃないけど…)
その会合は、まさにおじさんたちの集まりだった。
別にそれが嫌だったわけじゃない。
とはいえ、確か30人くらいの会合。
そのうち29人がおじさん。
1人だけが20代の若造。
自分がその異分子であることの落ち着かなさ。
それは今も記憶に残っている。
会合が終わると懇親会が始まる。
自分の財布から会費払って自主的に参加する形。
業務外だけど、業務のためのお付き合い。
別にそれが嫌だったわけじゃない。
とはいえ、ビール立て続けに注がれると、酔ってしまいそう。
初対面のおじさんたちが明るく楽しく声を掛けてくれる。
飲んで食べて、一段落すると、カラオケの時間。
おじさんたちが順番に歌う。
M課長にも「さ、どうぞお歌いください」と声が掛かる。
しかし、M課長はこれを固辞。
「いえいえ、私は結構です。あ、そうだ、君、歌いなさいよ。」
えっ、僕を生け贄に差し出すの?
そりゃないよ~!
これも修行。仕方あるまい。
覚悟を決めて僕は歌う。
曲目は「北酒場」。
うまく歌えたりしないけど、元気に声を張る。
それが若造に務まる役目だろう。
おじさんたちは喜んでくれた。
おじさんたちは二次会に突入するようであった。
M課長はこれも固辞。
「私はこれで失礼します。」
おっと危ない。僕も一緒に失礼します。
生け贄の2回目は遠慮したい。
我々はゲスト的な立場なので、
この頃合いで退散する。
それが通例になっているようだ。
そういうこと(マニュアルには書いていない)を肌で感じるOJT?
(OJT:オン・ザ・ジョブ・トレーニングの略。
おじさんトレーニングじゃないよ)
駅に向かう道すがら、M課長が僕に一言。
「よかったらもう一杯軽くやってから帰ろうか。」
静かな飲み屋のカウンターの奥に並んで座る。
課長とサシ飲みすることになるとは予想外の展開。
1時間ほどの濃密な時間。
温厚なM課長。
でも、仕事の場面しか知らない。
一体どんな話をするのだろう?
まったく予想できなかった。
すると、M課長は若い頃のことを語り始めた。
就職した頃のこの街の様子のこと。
そして、趣味の話も。
20代の頃は、仲間とヨットで海によく行っていたそうだ。
お猪口を傾けながらそう語るMさんの目は輝いていた。
へーっ、そうなんだ。
僕が見ていた職場でのM課長。
それはMさんという人間のごく一部にすぎない。
Mさんの人生には歴史があり、それはこの先も続く。
僕が見るMさんの姿は、歴史の流れのなかの一瞬。
スナップショットにすぎない。
おじさんは、最初からおじさんだったわけじゃない。
おぎゃーと生まれ、育ち、青春時代を過ごす。
そして、色々な喜びと苦労を経ておじさんに至るのである。
(その後、おじいさんになる予定)
そんな当たり前のこと。
なのに、僕はまったく意識していなかった。
この気付きは結構強烈だった。
この夜のことなどMさんは覚えていないだろう。
僕にとっては忘れられない場面となった。
あれから30年。
当時のM課長と同じ年代に僕もなった。
あの後、流れ者として生きてきた僕。
組織で上に立つような経験もない。
見た目の貫禄もない。
30年も経ったはずだけど、成長した実感もない。
とはいえ、月日は確実に経ったわけで、
僕はいま確実に、おじさんだ。
これまでの歴史を経て、いまのおじさんである自分がいる。
そして、この先にどのような続きがあるのだろう?
そんな昔のことを思い出す50代のおっさん(僕)。
若い頃も確かあったはず。
でも、20代で「北酒場」を歌っていたのか。
じゃ、既におっさんだったのかも!?
こんな残酷な気付きはいらなかったぜ~(涙)。
(ギジ度:95%)
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