魔法の言葉、純粋な人生

「チーノ」と呼ばれようが、

「テリブレ」と呼ばれようが、

目くじらを立てる必要はない。 

ゆったり、心穏やかに受け止めればよい。 


そんな心持ちになるための魔法の言葉。 

それがコスタリカにはある。


プラビーダ(Pura vida)。


スペイン語では"v"は下唇を噛まなくてよい。

"b"と同じように発音すればよい。

Vidaのアクセントは"vi”にある。

なので、「ビー」と伸ばして表記してみた。

でも、言うときはそんなに伸ばさなくてもよい。


「プラビダ」と表記されることもある。

でも、これだと「ランバダ」みたい。

日本語感覚だと、どん詰まった発音になってしまいそう。

だから、ゆったり表記することにした。

プラビーダ。


"Pura vida”を英語に訳すと"pure life”。

日本語に訳すと「純粋な人生」。

はて?


ここでしばし余談。

"Life"(スペイン語の"Vida"も)の日本語訳は?

あるときは「人生」。

そしてあるときは「生活」。

文脈によって使い分けられる。

どちらも同じくらいよく使われる。


でも、「人生」と「生活」って同じ?

言葉の響きはかなり違う。

人生。ずっしり。

生活。日常っぽい。

そんな感じだろうか?


黒澤明の映画は人生。

小津安二郎の映画は生活。

そんな例えで伝わるだろうか?

えっ、例えが古すぎるって?


外国語では一つの同じ単語。

日本語だと二つの違う意味合いになるのはなぜだろう?

きっと、文化的・哲学的な理由があるにちがいない。

いつか機会があれば探求してみたい。

(いまはしないけど)


余談終わり。

(僕のギジ録は余談ばかりだが…)


本題に戻ろう。

プラビーダ。

この言葉がどのような場面で使われるか?


これが実にさまざま。

あいさつで使われることもある。

こんにちは、の流れで使う。

じゃまたね、の流れでも使う。

お互いに「プラビーダ」と言い合う。

握手したりハグしたりしながら。

時には頬にチュっとしたりしながら。


どんな場面で使われようと、共通していることがある。

それは、プラビーダは前向きな文脈で使われるということ。

沖縄の「なんくるないさぁー」とか、

オーストラリアの“No worries”とか、

アメリカの“Take it easy”のような感じだろうか?

もちろん、意味はそれぞれ違うとしても、

前向きな言葉という点で一致している。


プラビーダの"Vida”をどう日本語に訳すか?

さっき僕は「生活」でなく「人生」を選んだ。

軽いあいさつなら「生活」くらいのほうがよいのかもしれない。


でも、プラビーダの奥にある考え。

それは、昨日今日だけのことではない。

ちょっと大げさに言えば、文字通り人生観のようにも僕は感じる。

だから、仰々しいけど、あえて訳すなら、純粋な人生。


人の性格に関して使われるのを聞いたことがある。

コスタリカ人のAさんとBさんの会話として再現してみよう。

(珍しく本当の議事録っぽい形式!)


A:最近Cさんと会った?

B:ああ、会ったよ。元気だったよ。

A:彼は苦労しているらしいね。心配してたんだ。

B:大丈夫そうだったよ。彼はプラビーダだからね。

A:そのとおりだね。


これが褒め言葉であることは疑いようがない。

「細かいことに目くじらを立てたりしない大らかな人」 

というような意味なのかなぁ、と僕はそのとき感じた。

実際、Cさんはそういう人なのであった。


辞書に載っていない色々な意味で使われるプラビーダ。

だから、人によって、そして、時と場合によって、

意味が微妙に変わってくるのかもしれない。

 

もしそうだとしても、それくらいのほうがよい。

このことばには、そのゆったりさが似合う。

厳密な定義は…どと問い詰め始めると、

その行為自体がプラビーダでなくなってしまう。


プラビーダは日本ではほとんどまったく知られていない。

でも、日本にもプラビーダはある。

そう気付かされる場面が2015年頃にあった。

それは、職場全員に送られたメールの文面だった。


職員を代表する、ある大切な役目。

その役目を次に誰が務めるかを決める手続き。

Dさんが適任であることの理由をEさんが語る推薦文。

そこにあった表現とは、

「様々なトラブルを小さな笑いに変える彼の人柄」

であった。

他にもっと重厚な理由も書かれていた。

でも、僕の目に留まったのはこの部分だった。


Dさんを知る僕は、それを読んで唸った。

「たしかに!」

心から共感できる描写だ。

Eさん、グッジョブ!


このDさんの人柄こそプラビーダだ!

僕は心のなかで叫んだ。

心のなかでいくら叫んでも誰にも聞こえない。

でも、ここに書くことで、 ぼくは5、6年たって

ようやくこの小さな感動を披露し共有することができる。

すっきり。


しかも、「小さな笑い」というのがいいね。

わびさびを含んだ和風のプラビーダ。


さて、プラビーダが「心の持ちよう」であるならば、

日ごろからプラビーダを意識してみたい。

心のなかにプラビーダが満ち溢れている状態こそ幸せだ。


順番待ちの列に横入りされたらカチンとくる。

でも大丈夫! プラビーダ。


理不尽なこと言われたらイラっとする。

でも大丈夫! プラビーダ。


「チーノ」と呼ばれたら最初はムッとする。

でも大丈夫! プラビーダ。


自分のプラビーダ度が高ければ、相手にも伝染するだろう。

生まれつきプラビーダ満載の人もいる。

そうでない人も(僕含め)、心の持ちよう次第。

プラビーダ度を高めることはできるはず。


いま、僕はこの原稿を書き終えようとしているところ。

そのおかげで、プラビーダ度がちょっと高まった。

(※個人の感想です)。


読んでくれたあなたに、それが少しでも伝染するなら嬉しい。

プラビーダのおすそ分け。

読んだ人が周りの人に伝染させてくれるかも。

プラビーダの拡散。

回りまわって僕が受け取れたら素敵だね。

プラビーダ循環の法則。


コスタリカから僕が学んだこと。

たくさんあるけど、その中心にプラビーダの精神がある。

そのことを時々思い起こす。

ありがとう、プラビーダ。

それは、魔法の言葉。

Giji Rockerのギジ録工房/Giji Rock Workshop

ギジ録。それは疑似的な議事録。 愛おしい時間の記憶。それを書き留めた記録。 100%正確とは限らない。 誇張や捏造が紛れているかもしれない。 だから議事録でなく、ギジ録。 ほぼ実話(99%)から、ほぼ作り話(1%)まで。 疑似度はそれぞれのギジ録ごとにまちまち。 アホらしいのは百も承知。 軽やかに笑い飛ばしてお許しください。 Gijiroku Rocks!