サンホセの恩人
ギジ録 コスタリカ探訪 その20
2004年1月、年明け早々の寒いカナダ。
そこからアメリカを経由してコスタリカへ向かう。
コスタリカの空港に到着。
いつものタクシー客引きの洗礼を受ける。
到着ロビーにはカレンさん(仮名)の姿がある。
僕は大きく安堵する。
カレンさんはコスタリカにもう長いこと住んでいる。
イギリス出身で、コスタリカにある国際NGOで働いている。
これに先立つ2003年の夏。
カナダの首都オタワで開催された研修。
それがカレンさんとの出会いの場だった。
この研修は、僕の人生のなかでも大きな意味を持つ濃厚な学びの場だった。
これ自体が大いに語りたい内容だが、ここではやめておこう。
とにかく、陽気なイタリア男子2名とカレンさんと僕の4人。
特に気が合ったこの4人で過ごした時間も宝物だ。
ちょうど僕は自分の博士論文のための研究提案が承認された頃。
コスタリカでのフィールドワークに向けて計画を練っている時期でもあった。
このことを話すと、カレンさんは協力を申し出てくれた。
色々な助言をくれた。
さらに、首都のサンホセにいる間は、自宅の「離れ」(キャビン)に宿泊してもよいという。
当時、僕は研究費を確保できず、貯金を切り崩しての現地調査。
なので、この申し出はとても助かった。
カレンさんの家は首都サンホセの中心から少し東に外れた閑静な郊外にある。
おしゃれな外観の2階建てで、中庭を挟んで「離れ」があった。
浴室も付いていてとても便利かつ快適。
コスタリカで僕がどう過ごしていたか。
当時、僕はパソコンは持参していなかった。
カレンさんの職場に招いてもらったこともある。
そこで仕事してもよいとも言ってくれたがあまり迷惑もかけられない。
なので、近くのネットカフェに通った。
そこでメールのやり取りをしたり、調べものをしたりしていた。
プリペイド式の電話カードも購入し、フィールドワークの準備を進めた。
すぐにでも現地に行きたいが、なかなかすぐに決まらない。
なので、サンホセで過ごす日数が予想より多くなってしまった。
カレンさんには申し訳ないと感じながら。
カレンさんは嫌な顔ひとつしない。
ついつい厚意をありがたく受け取らせてもらった。
カレンさんはイギリスの名門大学で文学を専攻したそうだ。
なので文学にも造詣が深い。
日本の小説家の名前もカレンさんの話に出てきた。
また、Memoirs of A Geishaという本についてカレンさんは言った。
この小説の名前は僕も聞いたことがあった。
オーストラリアに留学していた1998年初め頃のことだ。
スピルバーグさんがこの作品の映画化を進めているとの話だった。
そこで、主人公の芸者役を広く世界中で探している。
そんな不思議な求人をシドニーの大学の掲示板で見た。
同じ寮に住む日本人女子留学生に伝えたのも覚えている。
「応募してみたら?」
そんなふうに冗談で勧めたりもしていた。
でも、まゆつばかも、とも感じていた。
その後、すっかりそのことを忘れていた。
しかしそれは本当の話で、2005年にSayuriという題名で実際に映画が公開された。
僕がカレンさんからこの小説の話を聞いた頃はちょうど映画の制作中だったはずだ。
フィールドに行けずサンホセに留まっている日々。
その間、僕はカレンさんから借りたこの本を読んだ。
そこそこ長い英語の本を1冊読破したことがそれまでなかった。
しかし、読み始めたら惹き込まれて、なんとかこの本を読破してしまった。
分からない単語も多くあったが、いちいち調べないことにした。
ズルといえばズルだが、最後まで読み切るためにそうすることにした。
分からない単語があっても、前後の文脈でなんとか物語は理解できた。
僕にとって読破できたことは大きな自信になった。
まだ時間が余っていたので他の小説も読んだ。
カレンさんが絶賛するカズオ・イシグロである。
僕が日本人なので日本とのつながりのある作家や作品を勧めてくれる。
イシグロさんは日本の長崎生まれだが、イギリスで育った英国人。
『日の名残り』という映画の題名を聞いたことがあった。
その原作を書いた人だ。
この原作を読んでみた。
カレンさんの言うとおり、さりげない表現だが、深みのある文章。
この文章の美しさが、僕にも何となくわかった(気がした)。
これも無事に読破。
続いてWhen We Were Orphansという本を読んだ。
これもイシグロさんの小説だ。
邦題はそのまま『わたしたちが孤児だったころ』らしい。
この小説も美しい文章。
まるで実体験を書いたかのような臨場感があった。
中盤を過ぎると冒険活劇のような展開にも惹き込まれた。
こうして、僕は数日の間に3冊の英語小説を読み切ってしまった。
カレンさんが与えてくれたのは宿泊場所だけではない。
それだけでもかなりありがたかった。
でも、人生を豊かに過ごすヒントもさりげなく与えてもらった。
さらに、僕の研究の中身についてもたくさんの助言をくれた。
カレンさんがいなければ僕のコスタリカでの経験はもっと浅いものになっていただろう。
一生感謝してもしきれない、恩人の一人である。
写真:都サンホセの中心にある国立劇場。
いつか中に入って音楽や演劇を観賞してみたい。
0コメント