タラマンカでのフィールドワーク 9
ギジ録 コスタリカ探訪 その39
タラマンカに僕は1か月ほど滞在した。
その1か月について、事前の予想とまったく違う点があった。
事前の僕の想定はこうであった。
それは、地域組織でボランティアとして働かせてもらう、という形だ。
その地域組織のメンバーは森林を共有している。
その森林を保全しながら活用する様子を学ぶ日々を想像していた。
ところが、いざ現地に来てみると、組織的な活動がほとんどない。
組織のリーダーであるルーカスさんの自宅に居候させてもらう日々。
ファームステイのような感じだ。
仕事を手伝うという立場だが、必要な戦力という実感はまったくない。
むしろ、教えてもらうことばかりだ。
日々、貴重な学びがあったことは間違いない。
ただ、自分の研究テーマが共有林での住民組織の活動だった。
なので、多少の焦りを感じていたというのも正直なところである。
そんななか、滞在中に、2度ほど大口の予約が入っているとのことだった。
一つはアメリカの大学のグループ。
もう一つはイタリアからのツアーで、これは大人のグループ。
どちらも、共有林のなかにあるエコロッジで宿泊することになっていた。
僕は、特にアメリカからのグループの受け入れを僕は待ちわびた。
ルーカスさんは英語でもかなりやり取りできる才人。
でも、僕が英語で団体とやり取りを手伝って貢献できるかも、と期待していた。
アメリカ人たちが、このタラマンカの土地や人や暮らしをどう見るのかも知りたかった。
彼らの到着予定の前日。
ロッジで準備作業をするとのことで、ルーカスさん、オリビアさんと三男に僕も同行させてもらった。
ルーカスさんの家からは、草原やジャングルや沼地を通る40分ほどの徒歩。
沼地では、尾瀬にあるようなボードウォークとなっている。
ロッジに着くと、住民組織の他のメンバーの女性1名と初めて会った。
同じ地域に住んでいるといっても、家同士がかなり離れている。
なので、日常的に顔を合わせるわけではないのだ。
この女性は、今回の受け入れスタッフとして従事するという。
ロッジのキッチンに食材を揃える。
そして、部屋を掃除する。
素朴だが素敵な宿泊施設だった。
周囲は原生林である。
準備を整えて、家に戻る。
準備は万端のようだ。
翌日。団体が到着する予定の日だ。
天気は悪くない。
しかし、ルーカスさんの携帯電話には悪い知らせが届いた。
海が時化ていて、船が港に接岸できないというのだ。
それで、この受け入れはキャンセルとなってしまった。
食材購入などで事前に支出が発生している。
それはもう取り返せないようなのだ。
ルーカスさんは淡々と振る舞っていた。
僕は言った。
「運が悪かったですね。」
すると、ルーカスさんがにわかに強い口調で僕に言った。
「君は運を信じるのか?」
えっ?と戸惑う僕に彼は話し続けた。
「僕は運なんて信じない。それは努力を軽んじることだから。」
ルーカスさんは、若いころの自分を例に出した。
サッカーをやるとき、小柄な自分よりずっと大きくて運動のできる人が周りに多かった。
普通にプレイしていては勝負にならない。
ボールをすぐ大きい人に奪われてしまう。
そこで、最初はドカンと大きく蹴るが、次はフェイントでかわすなど工夫を重ねた。
その結果、平均すれば1試合1点くらい取れるくらい活躍できた。
なるほど。
運を天に任す、というような考えかたはないらしい。
僕自身は、意志3割、運8割、というような考えをしていた。
なので、ルーカスさんの言葉は理解できたけど、全面的に賛同することはすぐにはできなかった。
ただし、このやり取りは強い印象を僕に残した。
たしか2016年に3度目の訪問をしたときだったと思うが、僕はルーカスさんの生い立ちを聞くことができた。
極度に貧しい生い立ちで、子供の頃は麻袋(前回のペヒバジェ収穫の話を参照)がベッドだったとのこと。
大人になってこの地に入植し、一代でいまの家庭や生業を築いてきたルーカスさん。
その人生の軌跡を知り(ほんの断片にすぎないのだろうけど)、彼の真意がようやく理解できたような気がする。
どんなに厳しい状況でも、工夫と努力と意志で道を切り拓いてきた人生。
運のせいにして安易にあきらめない生きかた。
そのような強い工夫も努力も意志もない僕。
完全に理解することはできない。
でも、少なくとも、想像はできる。
そして、強い尊敬の念を覚えた。
アメリカの訪問団が来なかったのは残念。
でも、来なかったことよって、僕はこのときもっと大きなことを僕は学ばせてもらったのかもしれない。
写真:共有林に立つエコロッジ。たくさんあるタンクは雨水を貯めるためのもの。
右側にトイレとシャワーの小屋がある。
この立派な宿泊施設をここに建てることだって、決して運頼みではできないことだ。
ありとあらゆる工夫と努力と意志の成果なのだろう。
ただ、悲しいかな、熱帯では木材が朽ちるのも早い。
2004年当時ですら耐用年数ギリギリとのことだった。
次に再訪した2012年には残念ながら既に姿を消しており、その後、建て替えもされていない。
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